|

今から約7000年前、古代中国が狩猟採集社会から農耕社会へと徐々に転換していく中で、祭祀としての音楽が生まれ、歌や舞とともに必然的に楽器が考案されていった。最初は鐘や鼓のような打楽器から始まり、骨哨(動物の骨でできた笛)塤(陶製のオカリナのような笛)、さらには板に糸を張った楽器(琴)が登場する。
殷・周代以降、国家が形成されると宮廷での祭祀儀礼用の音楽(雅楽)は重要度を増し、春秋戦国時代には多くの楽曲が生まれ、宮廷音楽においても大規模な楽隊が登場し、民間でも楽器演奏が広く行われた。
秦から漢代にかけては比較的平和な時代が続き、それまでの楽器に改良が加えられたほか、新たな楽器が次々に登場した。漢民族と各地少数民族の音楽交流も促進され、地方民族音学の一部は宮廷音楽にも取り入れられた。一方、この頃にはシルクロードを通じて西域からの楽器も中国に流入し、一層民族楽器の発展を促した。例えば丸い胴の琵琶が西域から入り定着した。
三国時代から南北朝時代にかけて中国は戦乱の時代を迎え、宮廷音楽であった雅楽は衰退してしまうが、それに入れ替わり南北朝時代あたりから流行したのが“外国の音楽”「胡楽」である。北朝には中央アジアの仏教音楽の影響をうけた音楽がもたらされ、南朝にはインドシナ半島からの音楽が伝来した。
随、唐代はともに諸外国の文化を積極的に取り入れた国際的な時代である。伝統音楽と周辺諸国や少数民族の音楽との融合が進んだ宴饗音楽はのちに「燕楽」と呼ばれるようになった。
宋代に入ると都市の形成が促され、盛り場に演芸小屋が建てられ、音楽劇が誕生した。それにともない演奏技法も発達し、器楽合奏の形式も作られていき、中国音楽に豊かなバリエーションを加えられることになった。
清代以降、民間の音楽がますます発展し、戯曲は劇場で演じられ、「語り物音楽」は茶館や寄席を舞台とするようになる。
20世紀にはいると新しい演奏形式の模索が始まり、音楽家・劉天華によって新しい息吹を注ぎ込まれた楽器が二胡である。劉は西洋音楽の理論やバイオリンのテクニックを取り入れて二胡の演奏法を格段に拡げ、表現豊かな独奏楽器として蘇らせた。
|